乃木坂46の選抜発表が行われるたび、ファンの間では喜びと困惑の声が入り混じります。しかし、最近の動きは「困惑」の割合があまりにも大きすぎないでしょうか。40thシングル『ビリヤニ』から、最新の41stシングル『最後に階段を駆け上がったのはいつだ?』に至るまでの流れ、そしてドキュメンタリーで露呈した運営の姿勢について、一ファンとして、そしてアイドルシーンを俯瞰する視点から考えてみたいと思います。
「ビリヤニ」の衝撃と、五百城茉央という「矛盾」
まず、多くのファンが言葉を失ったのが40thシングル『ビリヤニ』での選抜布陣でした。中でも、5期生として圧倒的な人気を誇り、オンラインミート&グリート(ミーグリ)でも常に全枠完売を叩き出している五百城茉央のアンダー落ちは、これまでの「人気=選抜」という暗黙のルールを根底から覆すものでした。
数字という客観的な指標で結果を出しているメンバーが、なぜ報われないのか。もちろん、グループ全体のバランスや楽曲のコンセプトはあるでしょう。しかし、ファンの熱量をダイレクトに反映するミーグリの結果を無視したかのような采配は、応援する側のモチベーションを削ぐ劇薬になりかねません。
さらには、41thシングルではセンターサイドのフロントメンバーに抜擢。
かつてアンダーセンターから次作で選抜フロントに選ばれたメンバーはいたでしょうか?
いったいどういうことなのかさっぱりわかりません。
6期生の「使い捨て」感? 41stシングルでの全員アンダー落ち
さらに波紋を広げているのが、6期生の扱いです。『ビリヤニ』でWセンターという大役を担った瀬戸口心月と矢田萌華をはじめ、華々しくデビューを飾ったはずの6期生全員が、次作の41stシングル『最後に階段を駆け上がったのはいつだ?』では揃ってアンダーへと送られました。
「興行上の失敗を新人に背負わせているのではないか」という厳しい声が上がるのも無理はありません。センターを経験させた直後にグループ全員をアンダーへ落とすという極端な揺り戻しは、彼女たちの精神的なケアという観点からも、戦略的な育成という観点からも、首を傾げざるを得ないものです。
令和に蘇る「昭和の根性論」――汗をかけば正解なのか
こうした運営への不信感に拍車をかけたのが、乃木坂配信中で公開された「41stアンダラドキュメンタリー」での一幕でした。リハーサルで「汗をかいていない」ことを理由に、6期生がスタッフから叱責されるシーンです。
「先輩たちは本気でやれば汗をかく。汗をかかない6期生はまだ足りていない」
この発言は、現代のパフォーマンス評価としてはあまりにも前時代的です。発汗量は体質や代謝、あるいは効率的な身体の使い方によっても変わるものであり、それが「本気度」の絶対的な指標になるわけではありません。精神論や根性論で若手を追い込むやり方は、今の時代、多くのファンにとって「熱血」ではなく「冷遇」や「パワハラ」に近いニュアンスで受け取られてしまいます。
アイドル運営における「厳しさ」の正体
もちろん、プロの世界において厳しい指導は必要です。乃木坂46という看板を背負う以上、高いクオリティを求められるのは当然でしょう。しかし、その「厳しさ」の基準が、ファンの納得感(人気指標)や、メンバーの特性を無視した一律の精神論に終始してしまうのであれば、それは組織としての硬直化を意味します。
一般社会においても、数値目標(ミーグリ売上)を達成している社員が左遷され、上司の主観的な「頑張り(汗)」だけで評価が決まるような職場は、健全とは言えません。
結びに:ファンが求めているのは「納得感」のある物語
アイドルとは、成長のプロセスを共有するエンターテインメントです。そこには、ファンが納得できる「物語」が必要です。今の乃木坂46に欠けているのは、その物語の整合性ではないでしょうか。
厳しい試練を与えることは否定しません。しかし、それが単なる「冷遇」に見えてしまう現状は、グループの未来にとって決してプラスには働きません。41stシングル『最後に階段を駆け上がったのはいつだ?』というタイトルが、メンバーにとってもファンにとっても、本当の意味で前向きな一歩となることを切に願っています。

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